福島で震災時のお話をうかがいました vol.1
こんにちは。先日福島へ行きました。
宿泊したのは二本松市の宿。
もともと旅人向けの宿泊施設で、ご自宅の二階に泊めていただきました。
宿のお子さんが行く保育園では今も外遊びは一時間だそうです。
線量が県内では少ないほうなので、二本松市へ避難される方が多いとのことでした。
家は山中にあり、朝は山道を散歩しました。
車で移動中には、除染をしてる人達をちらほら見かけました。
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山道で浮かれるツレ |
福島と宮城の県境の新地というところの仮設にいらっしゃる旅館を営まれていた
ご夫婦に震災時のお話を聞く機会がありました。
車で旅館があった場所まで連れて行ってくれました。女将として働かれていた奥様、
凛とされて美しい方です。
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旅館があった場所の交差点 |
そこは海から歩いてすぐの場所。泳いだあとに水着で旅館に戻れるようなところでした。
奥さんは当時の写真を持参され、私たちに説明してくれました。
前の街の姿を写真でみても、昔の姿を想像できなかったです。
その道には建物の土台だけが残っていました。これから土台も撤去されるそうです。
三陸出身の奥さんは地震があったら津波がくると教えられていて、
まず逃げないと、と思ったそうです。
しかし、新地では津波は来ないと地元の方は思っていたそうで、
奥さんはご近所で誰よりも先に避難を呼びかけたそうです。
誰も動かないときに、まず声をかけ、人々が動き出すと、それにつられて人々は
逃げ出したそうです。(その時逃げた方は皆助かったそうです)
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倒れた電信柱 |
第一波が来たとき、近くの高台に逃げた方々も、波がひいてから家に財産を取りに行ったり、
中にはこんな事態だからだと炊き出し用の鍋を取りに帰った方もいらしたようです。
その方達は第一波よりも大きな第二波で、亡くなったそうです。
漁師さんのお話もお伺いしました。
地震の際、「漁師は船がまず大事」と身体を船にくくりつけ、津波を待ったそうです。
岸に近づくほど高くなる津波を避けるため、沖に出た方が安全なので津波が来るとき、
できるだけ船は沖に出すようです。
津波を待ちながら漁師さんは、走馬灯のようにいろいろなことを思い出したといいます。
家族の名前をひとりひとり叫びながら、最後は奥さんの名前を呼んだそうです。
あとで漁師さんは、こういったそうです。
「いままで漁師は自分の次に、船を守らないといけない、と思っていた。でも、それは間違っていた。
陸にもどって、家族といればよかった」
vol.2に、続きますね。
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